直江津を出てから1時間あまり、妙高高原駅に着きました。
この駅は、私にとって、とても思いで深い駅です。
初めてこの駅に来たのは、1963年1月2日、小学校4年の時でした。
大阪府スキー連盟のツアーで、3日間講習を受け、最終日にバッジテストを受けて、現地で解散します。
大阪の湊町駅(現:JR難波)を出たのは1月1日の昼過ぎでした。
列車は満席です。
オハ35の4人掛けクロスシートに座ったまま寝ます。
今の新幹線普通車シートのようにリクライニングはしません。
臨時列車なので、定期列車の合間を縫って走るので、17時間掛かり田口駅に着きました。(1969年に妙高高原駅と改称されました)
いまの様に宅急便はなく、みんな乗降扉と同じくらいの幅のリュックと2m近い長さのスキーを担いで駅から降ります。
田口から赤倉温泉まではバス。(ボンネットバスが主流でした)
バスの後部にあるスキー立てにスキーを載せ、リュックは一番後ろのシートに積み上げて赤倉温泉をめざしました。
その後も赤倉スキー場の変化に富んだスロープに惹かれて、約30年間ほとんど毎年この駅に降り立ちました。
私が来るのはスキーシーズンだったからでしょうが、
この駅には人があふれ、タクシーやバスが列を成していました。
2016年夏、妙高市からの要請で官民境界の確認のためこの駅に来た時は別世界のようでした。
北陸新幹線が金沢まで開通していましたので、この駅は信越本線ではなく、
えちごトキめき鉄道・はねうまラインの終点駅になっていました。
夏だったからでしょうが、駅には、まばらな人、駅前にはタクシーが数台、バスはいません。
駅前にはカネダ商店が店を開けているだけでした。
この30年間、給料は上がらず、スキーというレジャーを楽しむ若者、ファミリーはめっきり少なくなったようです。
この妙高高原駅も「田口」という名前に戻したほうが、似合うように思います。
さて、雪月花は、新幹線駅の上越妙高に向かって、ここで折り返します。
もう、お料理は出ず、乗車記念撮影や以下のおみやげがいっぱい出ます。
このお米はおいしかったです。 雪月花はおわり。